焼夷弾

太平洋戦争末期、日本中の市街地を焼き払い、“銃後”と呼ばれる幼い子どもや高齢者など多くの人々の命を奪ったのが、爆弾の一種である焼夷弾だった。

東京への爆撃に備えてB29爆撃機に運び込まれる焼夷弾=1944年11月、サイパン島(米国立公文書館所蔵)

中でも多く使われたのが、M69と呼ばれるタイプだ。

M69は、六角形をしており、金属製の筒の中には、ガソリンなどを混ぜ合わせたナパーム剤と呼ばれる油脂を詰め込んでいる。

アメリカ軍は、38発のM69を一つに束ねたE46集束焼夷弾という親弾を、B29爆撃機から投下。空中で親弾から解き放たれたM69は、バラバラになって落下した。

地上に落下すると信管が爆発、ナパーム剤が飛び散り、燃え上がった。

尾部に取り付けられた麻製のリボンは、尾翼の役割を果たしており、落下の際に点火する。このため「火の雨が降った」との証言が多く残されている。