2011年の東日本大震災で児童74人が犠牲になった宮城県石巻市の旧大川小学校に当時、津波で大量の流木が押し寄せていたことが4日、発生12日後の航空写真を基にした高精細3次元(3D)画像で分かった。河口付近の松林が流失、約4キロ内陸の北上川沿いにあった同校まで運ばれたとみられる。複数の遺族は長年「流木が凶器となり被害が拡大した」と指摘しており、主張が裏付けられた。津波の破壊力や早期避難の必要性を伝える資料になる。(2026年3月4日に公開しました)
共同通信は11年3月23日、重機によるがれきの撤去作業が行われていた現場を上空から撮影。222枚の写真を基に今回、一橋大の谷田川達也(やたがわ・たつや)准教授(コンピューターグラフィックス)の協力で最新のデジタル技術を使って立体化した。
■ 再生 ■
初期画面では、3D画像は約1分間のアニメーションとしてご覧になれます。再生中に3D画像自体をクリックするとアニメーションが止まり、自由に視点を動かせるようになります。その後は、左下の三角のマークを押すと再び自動で動き出します。
■ 回転 ■
左クリックをしながらマウス、またはトラックパッドを動かすと、視点が回転します。スマートフォンの場合は1本指で画面をなぞると回転します。
■ 移動 ■
右クリックをしながらマウス、またはトラックパッドを動かすと、視点が移動します。スマートフォンの場合は2本指で画面をなぞると移動します。
■ 拡大 ■
マウスのホイール操作、またはトラックパッドの2本指操作で、画像が拡大、または縮小します。スマートフォンの場合はピンチ操作で拡大、縮小します。
■ 全画面 ■
右下の四角のマークを押すと、全画面表示に切り替わります。「Esc」キーを押すと元に戻ります。
画像では根こそぎ抜かれた流木が校庭に山積していた。3年の長女が亡くなった只野英昭(ただの・ひであき)さん(54)は「ジャングルジムのように流木が折り重なり、土石流のようだった。あの津波が単なる水ではなかったことが3D画像であらためて分かる」と強調する。
5年の次女が亡くなった紫桃隆洋(しとう・たかひろ)さん(61)も「大量の松をチェーンソーで切り、どけながら遺体を捜索した。流木に挟まれた状態で見つかった人もいた」と証言する。
解像度の高い現場の写真を見た名古屋大の平野恭弘(ひらの・やすひろ)教授(森林科学)は、流木の一部は松と推測。「根がとぐろを巻いたように浅く広がっている。一般的に地下水位の高い海岸では根が浅い。想定を超える津波で流木化した可能性がある」。一方で海岸の松林には砂や潮風から集落や農地を守り、津波を軽減する機能があるとも説明した。
大川小では児童が約50分間校庭に待機させられ、近くの裏山に避難しなかったなどとして学校などの責任が問われた。
河口付近の松林は、地震による地盤沈下と津波で流失。林野庁などによると現在、根が深く張れるよう盛り土をして松林の再生を進めている。
旧大川小 | 宮城県石巻市の北上川河口から約4キロに位置し、東日本大震災で高さ8・6メートル以上の津波が押し寄せた。児童108人のうち70人が死亡、4人が行方不明となり、教職員10人が犠牲になった。裏山に避難せず、校庭に待機させたなどとして、児童の遺族が県と市に賠償を求めて2014年に提訴。仙台高裁が事前防災の不備を認めて計約14億3600万円の支払いを命じ、19年に最高裁で確定した。18年に閉校し、被災校舎は震災遺構になっている。
東日本大震災の津波で、宮城県石巻市の旧大川小は学校管理下で多数の児童が犠牲になった。避難する時間や場所はあったのに、わが子が命を落とした惨事から15年。あの日の記憶や教訓を語り続けてきた遺族らは、次の世代やほかの地域につなぐ「バトン」としての役割を意識するようになった。生々しい被災状況を伝える高精細3次元(3D)画像のような素材にも期待を寄せる。
「天国と地獄の境目です」。6年生だった次女みずほさんを亡くした佐藤敏郎(さとう・としろう)さん(62)は、当時の航空写真を基に共同通信が作成した3D画像を指さした。学校の裏山や、2階建て校舎の屋根には津波が到達した高さを示す痕跡のラインがくっきりと残る。
3D画像には、当日待機していてがれきに埋もれたスクールバスも写っている。「初めて知った。津波のすごい勢いが分かるが、生々しくて直視できない人たちもいるのでは」
佐藤さんは、屋根に打ち上げられた太鼓にも注目し「祭りで使っていた。地元の人間は被災後の光景を見ながら、震災前の日常も思い出しているんです」と話した。
周囲が更地になった現在、被災した校舎を訪れた人たちは「ここには町がありました」というメッセージを目にする。佐藤さんらの思いが込められた内容だ。
「あの日のことをなかったことにしない」。多くの来訪者に語る活動をしてきた佐藤さんは最近「バトン」としての役割を考えている。「(記憶が鮮明だった)震災5年や10年と違い、15年が経過して現在は手渡す『バトンゾーン』にある。遠方の人や、次の世代につないでいきたい」
5年の次女千聖(ちさと)さんを亡くした紫桃隆洋(しとう・たかひろ)さん(61)は「地震から津波到達まで51分あったのに校庭にとどまっていた。先生が動かなければ子どもの命は守れない」と学校側の対応を問題視してきた。「学校と地域がつながっておらず、孫の下校を待つために避難せず、命を落とした住民もいる。全国の学校はさまざまな不備を見つけ、改善してほしい」とも。
3年の長女未捺(みな)さんを亡くした只野英昭(ただの・ひであき)さん(54)は3D画像を見ながら「土石流のような津波の怖さを感じてほしい。悲劇を繰り返さないため、学校の先生は自分だったらどうするのかを考えて」と呼びかける。
東北の伝承施設などによる「3・11メモリアルネットワーク」専務理事の中川政治(なかがわ・まさはる)さん(49)は「3Dのような素材で、次の命を守る活動が広がる可能性がある。津波は避難すれば助かる災害。学校関係者や、海ではない内陸側の人も『うちもこうなる可能性がある』と受け止め、備える一歩を踏み出してほしい」と強調した。
動画 中川さんが語る震災3Dの意義
動画 3D画像を見た遺族は
動画 遺族が語る河川津波の恐ろしさ
動画 震災から15年遺族の思い
大川小学校のあった宮城県石巻市の今の様子を、写真13枚を通じてお伝えする。特集の後段には、東日本大震災当時の写真3枚も掲載している。
動画 東日本大震災で児童74人が犠牲になった宮城・石巻の大川小学校 震災から15年「繰り返してほしくない」「今バトンを渡す時期」―遺族の思いドキュメンタリー【3Dは語る】