2006年の第1回大会で日本代表を率いて、 初代王者の座を勝ち取った王貞治・ソフトバンク球団会長が17年前の戦いを振り返り、 世界一奪還に挑むサムライにエールを送った。

手探りの選考、準備


やむを得ず、という感じだった

WBC日本代表の谷繁捕手、 王監督、イチロー外野手、松坂投手=2006年2月28日、東京都文京区のホテル

ーMLB機構の世界戦略の一環として開催することになったWBC大会。日本にとっても手探りの中での挑戦だった。

「私もソフトバンクの監督だったので、ちょっと引き受けにくかったんですが、 孫(正義)オーナーから『指揮を取れ』と言われましてね。それでやむをえず監督をする、という感じだった。 大会がどういう仕組みでやっているかも分かりませんでしたし、選手にはとにかく日本的な野球をやろうよと声をかけた」

イチローの言葉

ーシーズン開幕前の3月の大会実施。選手選考は苦労した。

「今みたいに、みんなが出る時代じゃなかったですから。出て欲しい選手でも出てもらえなかった選手もいた。 手探り状態でやっていた。ただ無心でやったことが良かったんじゃないかなと思いますね」

優勝トロフィーを持つイチロー

ー現役メジャーからイチローが参加。その存在は大きかった。

「イチロー君が他の選手たちに『米国の選手はあんまり大したことないよ、本当にいい選手はいるけど、 ほとんどの選手は君たちと変わらないよ』というようなことを言ってくれた。(彼がメジャーで)大活躍していた頃でしたから、 日本の選手は自信を持ってグラウンドに立ってくれたと思いますよ。今回も大谷君とかダルビッシュ君から、 いろいろな話を聞いたりなんかして、我々とそんな差はないんだという気持ちで戦ってくれたら、日本はいい戦いができると思います」

短期決戦の難しさ


短期決戦は何が起こるか分からない

イチローとサヨナラ勝ちで喜ぶ米国代表

ー日本はジャッジにも苦しんだ。2次リーグの米国戦では犠牲フライの離塁で判定が覆ることもあってサヨナラ負けを喫した。

「短期決戦で仕方がないが、審判に関しては、ホームタウンディシジョンみたいなものも出てきますよね。 メキシコが米国に勝つ奇跡のような勝利も起きた(その結果、日本が準決勝に進出)。 短期決戦は何が起こるか分からないですから、それまでしぶとく、戦うことが大事だということはあそこから学びましたね」

2次リーグ 日本3ー4米国

2006年3月12日 アナハイム

Team 1 2 3 4 5 6 7 8 9
日本 1 2 0 0 0 0 0 0 0 3
米国 0 1 0 0 0 2 0 0 1X 4

【日本】上原、清水、藤田、薮田、●藤川(0-1) - 谷繁、里崎
【米国】ピービー、シールズ、T.ジョーンズ、フエンテス、ネーサン、○リッジ(1-0) - シュナイダー、バレット


本塁打
【日本】イチロー(1回1点 Peavy)
【米国】C.ジョーンズ(2回1点 上原)、リー(6回2点 清水)

日本は同点の9回、藤川が内野安打や四球などの2死満塁からA・ロドリゲスに二遊間安打を浴び、サヨナラ負けした。 日本は1回にイチローの先頭打者本塁打、2回は川崎の適時打で3点を先取。 先発の上原も1失点と好投したが、清水が同点本塁打を浴び、8回の勝ち越し機に三走・西岡の離塁が早く併殺になったのが痛かった。

1回無死、イチローが右越えに先制本塁打を放つ=エンゼルスタジアム(共同)
1回日本無死、イチローが右越えに先制本塁打を放つ=エンゼルスタジアム(共同)

宿敵韓国との戦い

7回1死二塁、代打福留が右越えに先制の2点本塁打を放つ。金炳賢投手

ーライバル韓国には1次、2次リーグで2連敗。3度目の対戦となった準決勝では、代打福留の2ランなどで雪辱した。

「福留君は肩も痛いと言っていて調子も悪かったので、スタメンじゃなくて、チャンスがきたら出すからと言って準備だけはしてもらっていた。 (0-0の七回に韓国が下手投げの投手に変わり)福留君にばっちりの場面になって、完璧な本塁打を打ってくれた。 3度目の正直で、ひっくり返せた。日本の選手は日の丸を背負うと、別人になりますよ

準決勝 日本6ー0韓国

2006年3月18日 サンディエゴ

Team 1 2 3 4 5 6 7 8 9
日本 0 0 0 0 0 0 5 1 0 6
韓国 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0

【日本】○上原(2-0)、薮田、大塚 - 里崎
【韓国】徐在応、●全炳斗(0-1)、金炳賢、奉重根、孫敏漢、裵英洙、呉昇桓 - 趙寅成、陳甲龍


本塁打
【日本】福留(7回2点 金炳賢)、多村(8回1点 裵英洙)

7回の集中攻撃で5点を挙げた日本が、韓国に雪辱した。 7回、松中が二塁打。1死後、代打の福留が甘い速球を見逃さず右翼席に運び、先制点をもたらした。 勢いづいた日本は、さらにイチローまでの3連打など、打者一巡の猛攻を見せた。 上原は速球にフォークボールを有効に織り交ぜ、7回3安打無得点に抑えた。

7回1死二塁、
            代打福留が右越えに先制の2点本塁打を放つ=ペトコ・パーク(共同)
7回1死2塁、代打福留が右越えに先制の2点本塁打を放つ=ペトコ・パーク(共同)

キューバとの決勝

優勝して喜ぶ日本ナイン

ー決勝はキューバを10-6で破り、日本が初代王者に輝いた。

「決勝戦になったら無心ですね。勝つとか負けるとかよりも、ここまで来たんだから日本らしい野球をやろうやと。 これで終わりなんだという思いで選手たちも思い切りよくプレーしてくれましたね。 あの時の日本チームの力を十分に発揮できたキューバ戦だったと思いますね」

決勝 日本10ー6キューバ

2006年3月20日 サンディエゴ

Team 1 2 3 4 5 6 7 8 9
日本 4 0 0 0 2 0 0 0 4 10
キューバ 1 0 0 0 0 2 0 2 1 6

【日本】○松坂(3-0)、渡辺俊、藤田、(S)大塚(1) - 里崎
【キューバ】●ロメロ(2-1)、オデリン、N.ゴンサレス、Y.ペドロソ、パルマ、マヤ、Y.ゴンサレス、マルテネス - ペスタノ


本塁打
【キューバ】パレ(1回1点 松坂)、セペダ(8回2点 藤田)

日本が九回に突き放した。 1点差と迫られた直後の9回、西岡のバント安打などで1、2塁。イチロー、 代打福留の適時打などで4点を挙げ、勝負を決めた。 日本は1回に多村の死球で先制。2死後、小笠原の押し出し四球、今江の中前打で計4点を奪った。 五回は内野安打と犠飛で2点を加えた。 松坂は4回を本塁打の1失点。8回途中からは大塚が抑えた。

7回1死二塁、
            代打福留が右越えに先制の2点本塁打を放つ=ペトコ・パーク(共同)
キューバを下してWBCで優勝、ナインに胴上げされる王監督=ペトコ・パーク(共同)

WBCの意義

ーWBCでの経験で得たもの。

「僕が選手の頃は米国が日本に来ても、練習試合の延長みたいな感じで、向こうはゴルフバックを抱えてきてね。 観光気分でやってそれでも、我々は負けていた。今の日本はすごくレベルアップして、 世界からも認められている。WBCも1回目や2回目よりも、どの国も負けるもんかという形で参加するようになりましたから。 今回で5回目を迎えて本当の意味でのチャンピオンを決める催しになったと思う。 米国もドミニカ共和国も中南米のチームも、本当に目の色を変えてくると思う。 日本も迎え撃って、日本の強さを相手に認めさせるような試合をやって、 (準決勝以降の)米国に行って力を見せてほしいと思います」

大谷への期待

大谷

ー二刀流でメジャーを席巻する大谷選手に期待するものは。

「普通のピッチングさえしてくれれば、三振の山を築いてくれるだろうし、 打者としては本塁打を連発してくれると期待はしています。 相手もかなりレベルが高い野球をやってきますが、彼はそういう期待を持たせてくれますよね。 投打両方で期待を持たせてくれる選手は、今まで日本ではいなかったし、 米国でも(ベーブ・ルース以来で)100年ぶりと言われるくらいですから。 彼がやってきたものを十分に見せてほしいなと思いますね」

栗山監督への伝言

栗山監督

ー王さんと同じ89番を背負って栗山監督も戦う。

「落ち着いた指揮を取る人だと思うし、選手たちも試合に打ち込みやすい雰囲気をつくってくれる監督だと思う。 そういう点では、豪華なチームの指揮官としては最適な人じゃないかと思う。 栗山監督じゃなかったら、大谷君やダルビッシュ君も出たかどうか分からないので、 そういった点では彼の功績は大きいですね。栗山監督にも思い切って、自分の思い描いたチームができたと思うんですよね。 あとはそのチームをフルに活用して、いい成績を出して欲しいなと。 栗山監督なら絶対できると。選手たちも信用していますのでね、どっしりした野球ができると思います。」

王 貞治(おう・さだはる)さん 東京・早実高から1959年に巨人入団。 1973、1974年に三冠王となり1977年にはハンク・アーロンの通算755本塁打の米大リーグ記録(当時)を抜き初の国民栄誉賞。 本塁打王に15度輝き通算868本塁打を放った。巨人、ダイエー、ソフトバンクで監督を務め計4度のリーグ優勝、2度の日本一。 2006年WBC日本代表監督を務め優勝に導いた。82歳。東京都出身。