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独ソ戦

1941年6月、独ソ不可侵条約を破り、ドイツ軍が旧ソ連に侵攻した。当初は不意を突く形になったドイツ軍が圧倒し、一時は首都モスクワに迫った。ソ連軍は42年8月からのスターリングラード(現ボルゴグラード)の戦いでの勝利で反撃に転じ、ドイツに攻め込んだ。ドイツは45年5月、無条件降伏した。ソ連の死者は民間人も含め2700万人に上るとされる。ソ連の構成国だったウクライナはキーウやハリコフなど主要都市などが激戦地となった。(2022年4月1日紙面配信)

第2次世界大戦(独ソ戦)ウクライナのキーウ付近の工業都市で、炎を上げて燃えるビルの前に立つドイツ軍兵士=1944年2月(ACME)
第2次世界大戦(独ソ戦)ウクライナのキーウ付近の工業都市で、炎を上げて燃えるビルの前に立つドイツ軍兵士=1944年2月(ACME)