「いつまでも夢を諦めない。
いくつになっても夢を持ち続けるのが
生きる力になる」

冒険家・三浦雄一郎
チームで挑んだ富士登山
  • 動画撮影
    矢島 崇貴、仙石 高記
  • スチール撮影
    福原 健三郎
(2023年8月撮影)

90歳の冒険家三浦雄一郎さんが2023年8月末、3日間かけて富士山の山頂に到達した。世界最高峰のエベレストを3度も登頂した三浦さんだが、今回の登山は1人の力では成し遂げられなかった。2020年に特発性頸髄(けいずい)硬膜外血腫を発症。両脚がしびれて力が入らず、歩行はつえに頼っている。スキー、登山など過去の冒険や事業に携わった仲間、次男豪太さんら家族―。総勢40人超がサポートチームとなり、三浦さんが乗った山岳用車いすを山頂まで引っ張り上げた。

リハビリに励む札幌での日常生活から富士登山まで同行し、年を重ねてもなお夢を追い続ける姿にレンズを向けた。

Yuichiro Miura
三浦 雄一郎
三浦 雄一郎
  • 1932
    青森県青森市に生まれる
  • 1966
    富士山からスキーでの直滑降を達成
  • (小谷明氏撮影)
    1970
    エベレスト・サウスコル8000m世界最高地点からスキー滑降しギネスに登録。その記録映画「 エベレスト大滑降」がアカデミー賞を受賞
  • 1985
    世界七大陸最高峰でのスキー滑降を完全達成
  • ©ミウラ・ドルフィンズ
    2003
    次男豪太とともに世界最高峰エベレスト登頂。当時70歳での登頂は世界最高年齢。また初の日本人親子同時登頂の記録を樹立
  • 2008
    75歳でエベレスト2度目の登頂に成功
  • ©ミウラ・ドルフィンズ
    2013
    80歳でエベレスト3度目の登頂に成功

リハビリ

Recovery

10人に1人が80歳以上―。総務省が2023年9月に発表した人口推計では、65歳以上の高齢者が総人口に占める割合は29.1%、80歳以上は10.1%と、世界に例のない高齢化があらわになった。増え続ける老人とその生き方は、今や日本社会が抱える大きなテーマだ。三浦さんも10月、91歳を迎えた。

富士山は「僕の夢の力の原点」

8月、異例の暑さに見舞われた札幌市を訪ねた。そこには日本最高峰の富士山登頂を目指し、リハビリやトレーニングとひたむきに向き合う 三浦さんの姿があった。病を患ってから日常生活にはつえと車いすが欠かせないが、悲壮感はない。三浦さんにとって富士山は特別な存在といえる。1966年、パラシュートをブレーキに使いながらスキーで直滑降し、その名を一躍とどろかせた。「世界に飛び出すパワーをもらった。僕の夢の力の原点」。そう表現する山に、再び挑戦する。

「ここは痛くないですか?」。自宅ではしびれが残る両脚を中心にマッサージを受け、こわばりをほぐしていた。ベッドから起き上がるのにも人の 手を借りなければならないが、前をじっと見据える目には独特の鋭い光が宿る。

病院では機器で筋力を測定しながら太ももを鍛えた。数値に改善が見られると「そうか、そうか」と応えたが、表情は厳しい。「普通通り歩けるのが100ですから、今のところまだ50くらいの感じ」。その後はつえと手すりに頼りながら、ゆっくりと階段を上り下りした。

別の日には、同市に住む次男豪太さんに車を出してもらい、スポーツジムに向かった。額に汗をにじませて踏み台昇降を繰り返す。30秒ほどを数セット行うトレーニングの合間には「ふーっ」と大きく息をついて呼吸を整えた。

「一度しびれたら継続してしびれる感じ?」。豪太さんは三浦さんの体の状態を確認しながらリハビリをサポートする。つえを使いながらゆっくりと反復横跳びの動作をすると「お父さん、スキーをしているみたいだよ」と勇気づけた。エベレスト登頂などこれまで多くの冒険に同行してきた豪太さんも、この夏の挑戦には心配が尽きなかった。「長時間運動するとしびれが強くなる。どれくらいの頻度で休みを入れ、いつ登山用車いすを使うべきか」。トレーニングでは、なるべく長く歩けるような筋力作りに重きを置いた。

訪問中、三浦さんが夕食に招かれ次男宅を訪れた。ローストビーフや、トマトのサラダ、枝豆やとうもろこし…。食欲はいまだ衰え知らずで、ワインを飲みながらバランスの良い食事を次々と口に運び平らげていく。その姿は、とても90歳とは思えなかった。

「エベレストで使った大型テントがあるでしょ。キャンプで使うために10年ぶりに出してきたよ」。その夜、豪太さんと冒険の思い出話に花が咲いた。三浦さんを「スーパーじい」と呼ぶ孫娘が歌を披露すると拍手を送り喜んだ。「家族の存在ってのは僕にとっては非常に大きい」。この挑戦を通じ、三浦さんは改めてそう感じていた。

挑戦

「じっくりかけて、皆さんのサポートと合わせて頂上に行きたい」

青空が広がり、強い日差しが照りつけた8月29日午前。三浦さんは家族や仲間とともに、日本最高峰・富士山(3776メートル)の山頂に向け、静岡県側の5合目(約2400メートル)を出発した。足をとられそうな小石が散らばる砂利道を、手すりやつえに頼りながら歩みを進める。斜面では豪太さんが背中や腰を支え、ほかの仲間も腕などを抱えて歩行をサポート。時折、折りたたみ椅子に腰かけながら呼吸を整えた。踏みしめるたびに「ザッ、ザッ」と音を立てる道をゆっくりと登った。

富士登山は易しくない。静岡県の富士宮口はいきなり岩の間を縫う登山道で始まる。一歩の幅、段差など地形に合わせなければならない。脚に力の入らない三浦さんは最初から難行を強いられた。「よいしょ」。つえ代わりの登山ポールを支えに脚を踏み出そうとする。その度に振り絞った声が漏れる。だが、なかなか脚は出ない。表情はサングラスで隠れたが、歯を食いしばる口元に苦しさが漂った。

歩き始めて40分もたったろうか。一般登山者が休憩を取りやすいポイントで豪太さんが声をかけた。ここから先、砂礫(されき)と火山岩の急斜面から山岳用車いすに乗った。車いすで荷物運搬道を進む。仲間が支える。自力歩行とは言えないが、その姿を一般登山者が拍手で送った。

苦しい場面で活用する山岳用車いすは、3輪タイプで全長約180センチ、重さは十数キロ。登りで使用する際は、両側の骨組みにロープをくくり付け、上から仲間が引っ張り上げる。ロープは8人で引き、両横と後ろで3人が車体の傾きを修正する。前方で障害物などがないかを確認する偵察要員を含めると最低12人が一度に携わる。

険しい山頂までの道のりを、総勢40人超の仲間が支えた。数人ずつ交代しながら、車いすにくくり付けたロープを引っ張り上げていく。「そーれ、そーれ」というかけ声が山に響いた。初日は5時間半ほどかけて登り、7合目(3010メートル)の山小屋で宿泊。

2日目に到着した9合目(3460メートル)では、三浦さんが名誉校長を務めるクラーク記念国際高登山部の生徒らも合流した。山小屋では穏やかな表情で過ごす一方、入念に両脚のマッサージを受ける様子も見られた。

登山最終日の31日朝、三浦さんは3日間の行程の末に車いすで山頂に到達した。晴れて冷たい風が時折吹き付ける中、新たな足跡を刻んだ90歳の冒険家は仲間と大きな声で「万歳」と3回繰り返した。「楽しい連中と登れた。生涯忘れられないくらい心に残る情景だった」と穏やかに語り、行程を支え続けた家族や仲間に感謝の言葉を繰り返した。

「おかげさまで長いこと念願だった山頂にたどり着けた。最高です」

  • 2023
    90歳で富士山頂に到達

「100(歳)を超えてみたい気持ちは十分ある」

そう語る三浦さんは既に91歳を超えた。エネルギッシュな冒険家は白髪となり、時に無精ひげも目立つようになった。その姿や行動は、高度成長から低成長、高齢社会へと移った日本が投影され、同時に障害者の共生という課題も背負う。


富士登山では、一部を歩いた三浦さんの休憩に備え、仲間は折りたたみ椅子まで運んだ。看護師の孫も同行、三浦さんは山小屋でマッサージを受けた。登頂の背景に、ケアする家族、支える仲間、三浦さんの夢というトライアングルがある。

ただ、恵まれた環境故に、交流サイト(SNS)では、やっかみや登山形態への疑問などが上がった。一方で、高齢世代やハンディを負った人へのエールになった点も、挑戦の価値として挙がる。


病を患っても、文字通り「一歩」に挑んできた。東京五輪の聖火リレー、大雪山のスキー、そして富士山。目の前の困難な夢を追い、自宅のある札幌市内でリハビリし、ジムでトレーニングに励んだ。「恵まれた」の陰に意志と努力があった。

健康、経済、将来、そして死…。年を取れば取るほど夢は描きにくい。三浦さんが口にする「夢の力」とは現実を「悲観しない力」なのだろう。

三浦さんは自身の最期について、こう語った。

「僕の場合はスキーを滑っているうちに自然に山の中で消えて行ければ。ベッドの上でも、どこでも、いずれ死は誰にでも来ます。後は無の世界に入っていくわけですから、受け止めりゃいいだろうし。ただ生きている限りは『もっとこうしてみたい』ということを持ちながら生きていきたいと思っています」

The Old Man
and
The Mountain

  • 動画撮影
    矢島 崇貴、仙石 高記
  • スチール撮影
    福原 健三郎
  • アートディレクション
    仙石 高記
  • デザイン
    中川 浩太朗
  • 3Dモデル
    仙石 高記
  • モーショングラフィックス
    團之原 万葉
  • 技術協力
    チョウ・ケビン
  • 原稿執筆
    小沢 剛、岩田 朋宏、矢島 崇貴 、小向 英孝
  • 原稿編集
    矢辺 拓郎
  • 撮影協力
    ミウラ・ドルフィンズ
  • 写真提供
    ミウラ・ドルフィンズ、小谷 明氏