フィギュアスケート男子で冬季五輪を2連覇した仙台市出身の羽生結弦さん(30)が7日、宮城県利府町のセキスイハイムスーパーアリーナで東日本大震災から14年に合わせたアイスショーに出演。「SEIMEI」では狂言師の野村萬斎さん(58)が安倍晴明の役で登場した。
野村さんのコメントは次の通り。
―初のアイスショーに参加されてみていかがですか。
「やっぱりね、大きな会場で皆さんの熱気と活気が感じられましたね。もう本当に、生きている人間がこれだけ集まると、ものすごくこう盛り上がるというね、何か、うん、ここが(遺体)安置場であったっていうことと、でも、やっぱりわれわれはいろんなものを、一種の遺産というかね、いい意味でも悪い意味でもいろんなことがあると思いますけど、そういう何かものをこう受け止めながら、自分たちの生きているっていう、こう、ことを共有できたのは素晴らしい催しだなと思いました」
―「MANSAIボレロ」をこの場所で演じられましたけども、どのような思いで。
「そうですね、ちょっと感極まりそうになりましたね、最初ね。うん、何か始まるときにね、ちょっと一瞬、霊感ではないですけれども、何かこう、ちょっと皆さんも何か魂を感じるというか、何かそういう思いが私に乗りかかかってくるというかね、そういうものを何となく背負うのも狂言に携わる者の使命のような気もして、改めてそういう場所と自分の使命みたいなものっていうのを再認識させていただきました」
―「SEIMEI」は萬斎さんにとっても羽生さんにとっても特別な演目だったと思いますが、2人で演じられていかがですか。
「そうですね。作っていく段階で、本当に羽生さんが陰陽師を好きなんだなってね、思いましたね。ちょっとオタクなのかもしれないですけど、僕より詳しくて、僕が忘れていることもなんとなく覚えてらっしゃるぐらいに。逆にこうした方がもっと(安倍)晴明らしい。もう僕は忘れているところも、ちゃんと覚えてらっしゃるようでしたけど、でも本当に冗談は置いといてね、彼のもう金字塔と言うべきね、ゴールドメダルを取った曲ですから、私もそれに、その大切な曲にね、関わらせていただいたこと、大変光栄に思っております。そういう意味で、構成がね、どんなふうに皆さんに映ったかもちょっと興味がありますけれども、いろんな意味で、五芒星をスケートリンクに描くということも一つの、これも何かそこにあるものに対する思いになったと思いますし、そういう意味で3・11にね、つながる曲にもなったかなと。全体にね、プログラムがそういうふうになっていたところで、私も二つの作品で関わらせていただいた。大変名誉であったなと思っております」
氷上は準備動作が必要、タイムラグが新鮮 羽生さんは非常に大きなもの背負ってる
―フィギュアスケートとのコラボということで面白い発見とかはあったか。
「それはね、構成をいろいろやってる段階で、僕と羽生さんと入れ違いに交互に演技をするときに、音の切れ目が、バシッとこっちは行きたいんだけど、やっぱりスケートってすぐ演技ではなくて、ちょっと初速をつけるためにも準備動作が必要なので、その分の間が必要だっていうことは、ちょっとなるほどと。普通にね、地上というかね、いるとすっと動けるのが、氷の上だともうひとかきしてから行くっていう、そういうちょっとタイムラグがあるのが新鮮でした」
―その辺りはどう埋めていったんですか。
「でも、スモーク出したりとか、こちらも去り際を少しこう、ちょっと派手にしたりということですけれども。でもね、本当に羽生結弦さんと今回仕事してね、前に対談させていただいた時に、今日『SEIMEI』で『天・地・人』というふうに始めたのも、もう実際にはその時の対談の時に、僕が天と地と人をつかさどるというか、空間と時間を操る、音楽をまとうなんて話をしたことをすごく僕も思い出しましたし、まさしくね、羽生さんがこうやってアイスショーをいろいろと今やプロデュース、演出もされていく中で、まさしく天、地、人をつかさどっていらっしゃるなと、非常にそういう意味で頼もしく成長されている姿というのをね、頼もしく思いました。(約10年前に)会った時はここまで何か、あの頃はまだ僕としゃべっている時には彼らの中にもちろん内包されているものなんだけど、まだ言語化されていなかったし、それが多少、私の言葉も含めてね、今までの経験などで、だんだんこう殻が破れて、芽が出て、まさしく今花開いているなと、そういうような思いで、何か素晴らしいなと。やっぱりこう、われわれは年を老いていくわけですよね。次なる人々がやっぱりいろんな意志を継いでくださるとかいうようなことで、とてもうれしく思いますね。それが僕自身も先人から能や狂言の一種、知識であるとか経験の中で僕が思っていた思いが彼が受け取ってくれて、それをこういう形の素晴らしいショーにして、かつ鎮魂というね、大きなテーマあるということが素晴らしいですね。僕はつくづく思うんですけれども、最後のね、あいさつを聞いていても、職業・羽生結弦さんと私は最初にお呼びしたんですけれども、私が職業・野村萬斎と名乗ってるもんですからね。今日、そうだな、思ったのは、僕自身も何か日本の文化、伝統文化を背負って生きているつもりです。彼の場合はまた彼なりの何かは非常に大きなものを背負っている。そういう意味でね、公人というかね、公の人というか、単なる個人の活動という枠を超えているところが素晴らしいなと思いますね。やっぱり彼の何かスケートにとどまらない意思、発想、行動力、そういうものがこう、本当にこの凝縮された素晴らしいショーであったなという風に思います。ですから、職業・羽生結弦はますますもっとこう、何か彼のできることを成し遂げていくんだろうなというふうに思いますよね。それは本当にありがたいことでございますね」
「是非、またボレロも共演できるといい」 人間の一生が垣間見られる意味合い込めて
―以前、羽生さんとの対談で、われわれは省略の文化だという言葉をおっしゃってたんですけれども、今回のボレロに省略の文化を当てはめる際に意識したことっていうのはどういった感じですか。
「そうですね、ボレロはいろんな作り方をしていくうちにどんどん、どんどんそぎ落としていったのは事実ですね。ですから、元々には能、狂言にある翁、寿式三番叟の元にあるんですけども、それを3・11に含めた祈りに変換してくという作業の中で、具体的に実は子どもを抱き上げて助けを求めたりとか、そうですね、苦しい中にも花は咲くよとか、雨も降るよと、夏も来るよと、そういうようなイメージで、多少具体的にしながらもそれを抽象的な概念にしていって、何か最終的に人間の一生が垣間みられ、死からもう一回、次の生に飛翔する、それが最後のジャンプにね、つながるというような意味合いを込めているわけですね。ですから、見ていると非常に抽象的に見えるかもしれませんけど、そういう思いで見ていただくと何か特別に見えてくるものもあると思うので、是非ね、またボレロも続けて共演できるといいですね」
―羽生さんは式神でよろしいですか。
「今回の。今回、そういう意味で言うと、その『SEIMEI』を作ってる中で、どういう関係性にしようかっていうので、もちろん、ふっ、て、僕が人型の紙をこう落とすところから始めるので、もちろん式神ということですけれども、途中の僕が舞ってる間に控えてらしたのもね、こっちに来てから発想されたことです」