フィギュアスケート男子で冬季五輪を2連覇した仙台市出身の羽生結弦さん(30)が7日、宮城県利府町のセキスイハイムスーパーアリーナで東日本大震災から14年に合わせたアイスショーに出演し、鎮魂の思いを胸に舞った。
公演後のあいさつとその後、取材に応じた羽生さんのコメントは次の通り。
【公演後のあいさつ】
「3年目のスケーターもたくさんいて、『notte stllata』というショーの意味を深く深く感じながら思いを込めてリハーサルからずっと滑ってくれました。そんなスケーター、(野村)萬斎さんにも改めて拍手をお願いします。東北人、宮城県民、仙台人としては、3・11という日が近づけば近づくほどに、何か思い出してしまうことや悲しい気持ちだとかそういうものはある。みなさんそれぞれ3・11というものに対して故郷から離れてつらい思いをしていたという人もいたり、また全然関係なくても遠くから見ていて痛い思いをした人もいたと思う。どんな方々の3・11でも大切に大切にしていただけるとうれしい。まだまだ苦しんでいる人もいるのでどうか忘れないで、ちょっとでもこれがきっかけとなって支援していただけたら本当に本当にうれしいです。3・11のみならず、能登半島、大雪とかで被害に遭ったところがたくさんある。どんな災害でもいいので、ちょっとでもみなさんご支援していただけたら本当に本当にうれしいなと思います」
野村萬斎さんと共演「緊張がすごかった」 プロのスケーターとして同じ土俵に立った
【公演後の取材対応】
―3回目の「notte stllata」ですけれども、終えられて、今の気持ちをお願いします。
「とにかく、本当何だろう、今日が千秋楽なのかなっていうぐらい全体力と気力を使い果たしました。それくらい、うん、一瞬も気持ちを切らさずに、少しでもこの会場で滑っているメンバーと全員で3・11やいろんな災害に対してできることを、何かのきっかけになるようにと願いながら、祈りながら滑らせていただきました」
―野村萬斎さんとの共演でしたけど、それについてはいかがでしょうか。
「とにかく緊張がすごかったです。その、やっぱりその『SEIMEI』に関しては特に何か威厳のようなものを常に背後から感じながら、決してミスをすることができないというプレッシャーとともに、本当にオリンピックかなと思うぐらい緊張しながら滑りましたし。後はボレロに関しては僕が使ったことのない曲で、フィギュアスケーターとしてはやっぱり伝説のアイスダンスの演技がやっぱりあるわけで、振り付けをしてくださったシェイ(リン・ボーン)もすごく難しいとはおっしゃっていたんですけれども、萬斎さんのボレロとして、僕らもいろんな振りと所作を入れて、この共演でしかできないボレロになったんではないかなという手応えはありました」
―じゃあ、皆さん質問たくさんあると思うんで、代表取材は以上にします。
「なかったりして、ふふ(笑)」
―野村萬斎さんと会うのはたぶん10年ぶりだと思うんですけれども、振り付けとかいろいろ通して萬斎像は変わりましたか。
「でも、何か少しだけ打ち解けてくださった気がします。僕自身、やはり10年前、約10年前ですかね、やっぱりとてもとても恐れ多くて、ひたすら緊張しているだけだったような気もしてましたし、何かまだ乾いたスポンジみたいな、吸収しようとしてもそんな容量がないので吸収できないみたいな、本当にただただひたすらアップセットしてただけだったですけど。今回は、自分もいろんな経験を積んできて、やはりプロとしていろんな活動をしてきたからこそ、ある意味で頑張って、同じ土俵に立って、同じ目線、またその同じ高さの目線からものを言えるように、しっかり、何だろう、気を張って、プロのスケーターとしてぶつかっていけるように、ということを心がけながら、やはり打ち合わせ等もさせていただきました。で、もちろん今回、ボレロ自体は振り付けがこっちに到着してから、他のスケーターも到着してから、振りがだんだんとでき上がっていって、萬斎さんに見ていただいた時には、まだ全然でき上がっていない状態で、萬斎さんもどうしたらいいかね、みたいな感じにもなってしまってはいたんですが、この会場で、本当に時間をかけて何回も何回も通しているうちに、萬斎さんの方から合わせてくださることもたくさんあったり、僕自身も萬斎さんとどのような所作で合わせに行ったらいいのかということをたくさん考えながらでき上がったボレロだったなというふうには思います」
エネルギーなくなるほど酷使して演技 今までの「SEIMEI」とは違う感覚
―この宮城の被災地、故郷で、こうやってこの時期に連続で健康でショーを続けられていることを、改めてどんな思いでいらっしゃるかっていうのと、どんな気持ちで前に向かっていきたいって、改めて、この被災地への思いも含めて聞かせていただけますでしょうか。
「とにかく、もちろん、このチケットを購入されて、体調を崩して来られなかったっていう方ももしかしたらいるかもしれないですし、その、何か新幹線の問題とかでもなかなか難しかった方ももしかしたらいらっしゃるかもしれないですし、そもそもグランディ(21・宮城県総合運動公園)という、この利府の地がかなり交通の便が悪いので大変だとは思うのですが、でもそういった中で、まず僕ら以前に来てくださる方々がやっぱ健康であって、また、体調が悪かったとしても『Hulu』だとか配信等でご覧になってくださっている方々がいて、もうそれだけでもう僕らは十分幸せだなという気持ちでいっぱいです。本当、もちろん僕らも全身で、全身のエネルギーがなくなるほど酷使しながら演技をさせていただいていますし、何か今まで自分がそのアイスショーに対しての意気込み、何ですかね、このエネルギーの出し切り方みたいなものが、何かどんどん今回は他のスケーターにも伝播していて、こんなにやりきってくれるんだっていうぐらい、他のスケーターたちも出し切ってくださって。あの野村萬斎を、息を切れるほど走らせる人はたぶん、いないと思うので。本当に恐れ多いのですが、でも本当に萬斎さんも全力で『SEIMEI』というものを演じ切りきってくださっていて、本当に何か、何て言うんですかね、僕らはたぶんエネルギー量的には、体力的にはもう全然健康じゃなくなってきてるんですけど、でも、何だろう、これを見に来てくださってる方々が、何かああやって立って、うん、拍手を送ってくださったりとか、声援を送ってくださったりしてる姿を見て、この場で生きてらっしゃるんだなということを、何か改めて、この『notte stllata』だからこそ改めて感じられて。何か僕らがその震災の時に立ち上がっていけたように、その絆みたいなものがどんどん、どんどん広がっていってくれたらうれしいなという気持ちでいます。とりあえず、たぶん本当に僕、リハーサルの時に野村萬斎さんが息を切らしちゃって、大変なことをしてしまっている。本当に『SEIMEI』の最後のところ、本当にずっとダッシュしてくださってるんですけど、いや、なかなか本当に申し訳ないなって思いつつも、でもそれに応えてくださる、萬斎さんのその力量というか器みたいなものに、また改めて尊敬していました」
―「SEIMEI」について。野村萬斎さんが、自分が忘れているぐらい羽生さんがオタクになって、細かいところまで演出にこだわってくれたとおっしゃってたんですけども、今回のSEIMEIをやるにあたってこだわった点は何か。それと、代名詞と羽生さんがおっしゃられる演目を今回どういうふうに昇華できたなっていうふうに思うか。
「そうですね、何かいつもはその『SEIMEI』というものを演じるときは、僕自身がその安倍晴明のモチーフになって滑るということが多かったんですが、今回はその安倍晴明本体が出てきて、それに使役する従者というか、式神のようなイメージでその構成を練って演出もしていただきました。完璧な存在である、完璧で不思議な存在である安倍晴明がそこにいるからこそ、式神は式神らしく、完璧ではなく、ある意味、力を与えられし者のような立ち振る舞いをしなくてはならないな、ということを込めて、何かずっと力をずっと入れながら、いつもの『SEIMEI』というプログラムで滑っている時よりもずっと、フルパワーでずっと滑っているような、何かその一つ役割を与えられて、その一つの役割をこなして、また紙の人形に戻って、また役割を与えられて、というような物語を2人の中で想像しながら構成を練ってきました。なかなか今までの『SEIMEI』の感覚とは違って、その役割というか、それぞれの、ちょっとこじつけかもしれないですけど、自分が今、この『notte stellata』というアイスショーに出演させていただいていることが、自分が生きていることの役割とはなんぞやということを、改めて問われているような気もしました」