京都駅から快速電車で約15分のJR宇治駅を降り、バスに乗り換えて揺られること5分あまり。「白川峠」という名の停留所が近づくと、丘の上にぽつんと立つ大きな建物が目に飛び込んでくる。「木下アカデミー京都アイスアリーナ」。今やフィギュアスケートで国内の一大勢力となった「木下アカデミー」の練習拠点だ。女子で世界ジュニア選手権3連覇中の島田麻央(木下グループ)や、来年2月のミラノ・コルティナ冬季五輪代表を目指す千葉百音、吉田陽菜(ともに木下アカデミー)らが日々、ここで滑りを磨く。「京都から世界へ、世界から京都へ」―。開業6年目を迎えた通年型スケートリンクが掲げるスローガンの通り、将来有望な選手が次々と国際舞台へ羽ばたいている。

つながりは2006年ジャパンOP 選手個人の支援にも乗り出す
住まいや医療福祉などのサービスを展開する木下グループ(東京都新宿区)とフィギュアスケートのつながりは、2006年にさかのぼる。テレビ局や日本スケート連盟との関係で、日本、北米、欧州の3地域対抗戦として新設されたジャパン・オープンのスポンサーに決定。さらに、2009年からアスリート個人の支援に乗り出した。実は日本スケート連盟からの打診がきっかけだったという。
「(2014年ソチ冬季)五輪で団体種目が始まるに当たり(アイスダンスとペアの)カップル競技を強化したい。(男子と女子の)シングルは支援してくれる企業が出てきているものの、カップル競技に関しては難しい」。木下グループ広報室の和田野知尋室長によると、そんな悩みを訴える声に応える形で「2009年にアイスダンスのリード姉弟(キャシー・リード、クリス・リード組)、2010年にペアでマービン・トラン(カナダ)と当時組んでいた高橋成美さんを支援するようになった」

京都に再び通年リンクを― 打倒ロシア掲げる浜田コーチに共感
京都との結びつきは、浜田美栄コーチがもたらした。浜田コーチが指導拠点を置いていた京都市の民間リンク「醍醐スケート」が2005年に閉鎖。京都市の京都アクアリーナは夏場はプール、スケートは冬季のみの営業で、府内に一年中使用できるリンクがなくなった。練習場所を確保するため、大阪府や滋賀県、遠くは岡山県まで足を延ばさなければいけない窮状に追い込まれていた。
京都府スケート連盟の細川信子フィギュア部長は当時を振り返る。「夏場のリンクがない状況が何年も続いた。選手がある程度上手になって大会に出たいとなると(本格的に1年を通して練習するためには)引っ越したり、府外のリンクに通ったりするしかなかった。(京都府出身で2018年平昌冬季五輪女子4位の)宮原知子ちゃんもその一人。通年リンク設立の話は出るものの、最後(実現)まではいかなかった」

京都に再び通年リンクを―。そんな構想に転機が訪れたのは2017年だった。京都府スケート連盟の継続的な訴えに京都府が応じ、広大な府立山城総合運動公園内に建設用地を確保する案が実現へと動き出す。
「(当時支援していた)宮原選手をきっかけに浜田先生とのご縁があった」と木下グループの和田野室長。「強豪ロシアに勝てるような選手を育てたい」という浜田コーチの熱意に共感し、既に構想にあったアカデミーの生徒が十分な時間、リンクを借りられることを条件に建設に協力することになったという。2019年12月にオープンしたリンクのネーミングライツを取得。ここを拠点として、それまで関西大で指導していた浜田コーチがゼネラルマネジャーを務めるアカデミーが2020年4月に誕生した。

「官民連携」で24時間の支援態勢 貸し切り、一般営業の需要にも
新リンク整備の特徴は「官民連携」だ。府が用地提供と造成で協力したのに対し、建設や運営は府スケート連盟などが立ち上げた一般社団法人と、全国各地のリンク運営で実績が豊富な民間のパティネレジャー(東京都豊島区)が担った。
国際規格の縦60㍍、横30㍍のメインリンクに加え、一回り小さいサブリンクを併設。競技者のための貸し切りだけでなく、一般営業の需要にも応えている。
開業当初からリンクの支配人を務めるパティネレジャーの五十嵐光さんは「要望があれば24時間、いつでも施設を使ってもらうことができる」と頼もしい。昨季大躍進し、国際スケート連盟の最優秀新人賞に選ばれた同志社大の吉田陽菜は「大学に行く前に朝6時から練習し、授業が少ない日は戻って練習している」と言う。学業との両立もストレスなくできている。


理想は「民間版エリートアカデミー」 最適解を追い求めてミーティング
木下グループはアカデミー生のために年間約1900時間、つまり1日平均5時間半近くもリンクを借りている。費用はリンク代だけで1億円弱もかかるという。手厚い支援の根底にあるのは、同社の「才能のある子がお金の面で(夢を)諦めず、スケートを続けられるように」という思い。和田野室長は「選手のレベルによって支援内容は細かく分かれている」とした上でコーチに払うレッスン代や海外でのプログラムの振り付け費用、衣装代といったものまで援助していると明かす。
既に十二分に聞こえるサポートは、これだけにとどまらない。和田野室長は言う。
「民間版エリートアカデミーのようなことをできればいいと考えている。宇治では費用は弊社負担でバレエレッスンや陸上トレーニングができる。世界選手権前にカナダで練習をしたり、夏に2、3カ月海外合宿を行ったりする生徒もいる。アカデミー生の希望があればフリースクールを運営している星槎学園の先生にお越しいただいて、週3回子どもたちが朝から晩まで勉強を教えてもらえる環境もある」
木下アカデミー関連の支援だけで数億円に上るが「アカデミーの運営は営利を目的とした事業ではなく、フィギュアスケートの未来を支えるための使命と捉えている」(和田野室長)と社会貢献活動の一環に位置づける。トップ選手にはメンタルトレーニングの専門家によるサポートも用意するなど、心技体全ての面で充実を図っている。打倒ロシア勢を掲げる浜田コーチら指導陣と木下グループで毎日のようにミーティングを重ねながら、選手強化の最適解を追い求めているという。

「チーム木下」で五輪団体メダルを 選手がいずれ指導する循環できれば
木下グループが長年支援してきたペアの三浦璃来、木原龍一組は2023年に同種目で日本勢初の世界選手権金メダルと新たな歴史をつくった。木下アカデミーに所属する選手では、男子の中村俊介が昨季の世界ジュニア選手権で4位入賞。26日開幕の世界選手権(米ボストン)には女子の千葉が2年連続、ペアの長岡柚奈、森口澄士組とアイスダンスの吉田唄菜、森田真沙也組が初の出場。「五輪の団体戦で、チーム木下でメダルを取ってほしい」との同社の願いがかなう日も、遠くないかもしれない。
近年、国内でフィギュアスケートのアカデミーが誕生しつつあるが、ペアとアイスダンスも含めて強化・育成を目指しているのは木下アカデミーだけだ。優秀な指導者を頼って海外に拠点を移さざるを得ないカップル種目の現状を踏まえ「いつかは日本で完結できたらいい。支援してきた選手が(いずれコーチとして)アカデミーで指導していくような循環ができれば」と和田野室長。選手、コーチ、企業が思い描く理想に向け、着実に歩を進めている。
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女子の千葉百音、吉田陽菜、島田麻央に、ペアの「ゆなすみ」こと長岡柚奈、森口澄士組、アイスダンスの「うたまさ」こと吉田唄菜、森田真沙也組…。京都府宇治市の通年型リンクを拠点に、有望な若手選手を次々と世界に送り出す「木下アカデミー」の挑戦を追いかけます。
