昨季の全日本ジュニア王者、中村俊介(19)=木下アカデミー=にとって、人生を変えた出会いがある。11年前の2014年4月。地元、名古屋市ガイシプラザで開催された「第11回名古屋フィギュアスケートフェスティバル(名フェス)」で、当時小学3年生だった中村は「花束スケーター」を務めた。

リンクに投げ込まれた花やプレゼントを拾い集める役割で、スポットライトを浴びることはない。それでも、憧れの選手と同じ時間、空間を共有できる機会に胸は躍った。

そんな興奮は、出演者と一緒にリンクを1周するフィナーレで最高潮に達する。手をつないでくれた人こそ、わずか1カ月半前にソチ冬季五輪で金メダルに輝いた羽生結弦だった。
19歳にしてフィギュアスケートでアジア人初の五輪制覇を成し遂げ、翌月の世界選手権も初制覇した時の人は、まだ無名だった中村にも優しく接してくれたという。「そこから羽生選手にすごい憧れた」。目の色を変えて、スケートにのめり込むようになった。

原点は2003年 きっかけは安藤美姫、浅田真央ら新星誕生
「名フェス」の原点は2003年の春にさかのぼる。このシーズン、まだジュニアだった安藤美姫が女子で史上初の4回転ジャンプ(サルコー)成功を果たして話題となった。小学6年生だった浅田真央は全日本選手権で大技トリプルアクセル(3回転半ジャンプ)に加え、3連続3回転ジャンプの離れ業で観客の度肝を抜いた。かつて、伊藤みどりや小岩井久美子を輩出した愛知県から、続々と新星が誕生し始めていた。
将来有望な選手たちに、地元で演技を披露してもらう機会をつくりたい―。愛知県スケート連盟や、名古屋市に本社を置く中日新聞社ら関係者の熱意は形になる。2003年4月。「跳べ!氷上の華たち フィギュア王国・名古屋から世界へ」と題したアイスショーが開催され、安藤や浅田舞と真央の姉妹、中野友加里、小塚崇彦、後にペアで世界チャンピオンとなる木原龍一ら同県出身のスケーターが勢ぞろいした。会場は約3000人の観衆で熱を帯びた。
運営に携わってきた愛知県スケート連盟の久野千嘉子フィギュア委員長は当時をこう振り返る。
「名古屋の選手が、その頃から世界に出て活躍し始めた。大会が名古屋で開催されることもほとんどなかったので、そういう選手たちの活躍の場を提供したいな、と。世界に出るきっかけになればいいな、と思い始めてスタートした」
2004年から県外のスケーターにも門戸を広げ「第1回名古屋フィギュアスケートフェスティバル」の実現に至る。以来、毎年恒例のイベントとなり、今年1月4日には21回目の開催を迎えた。(2024年は会場の改修工事実施のため開催見送り)

花束スケーター→地元推薦枠→正式な出演者 3段階のステップアップが子どもたちの目標
久野委員長によると、愛知県の選手にとって名古屋フィギュアスケートフェスティバルで①花束スケーターになること ②地元の推薦選手枠で出演すること ③世界で活躍し正式な出演依頼を受けること―が3段階の目標になっている。特に地元のクラブに所属する子どもにとって、花束スケーターになることはその後の競技人生を大きく左右するという。「その年の大会の成績で上から順番に選んでいく。選ばれなかった選手たちは、刺激を受ける。『次は自分も選ばれるよ』『いつかは、ここの舞台に立ちたい』と。そういう形で、いろんな選手に影響を与えている」
全ての演目が終わり、花束スケーターとしての〝任務〟が完了した後に待っているご褒美が、出演者と手をつないでのリンク1周だ。「憧れの選手と一緒の氷に立って、同じ目線でいろんなものが見られる。声援を受けて、そういった立場に『自分もいずれなりたい』と思う。世界のトップスケーターと手をつないで同じ空間を滑るのは、経験したくてもなかなかできないこと。絶対にみんな覚えているんですよ、誰と手をつないだかって。何十年たっても覚えているので、小さい選手にとってはすごい刺激だったんだなっていうふうに思う」(久野委員長)

坂本花織、高橋大輔… トップ選手と手つないだ思い出は永遠
中村は高校時代、愛知・中京大中京に通いながら練習拠点の京都と往復する日々を送り、昨シーズンは初出場の世界ジュニア選手権(台北)で4位と飛躍を遂げた。今季(2月28日開幕・デブレツェン=ハンガリー)も代表にも選ばれ「今年は表彰台を目指して頑張りたい」と高みを見据える。決意の表れとして、新年初滑りの場に選んだのが「最も思い入れのあるショー」という名フェスだった。
女子で昨季、国際スケート連盟(ISU)の最優秀新人賞に輝いた吉田陽菜(木下アカデミー)や、今季のジュニア・グランプリ(GP)シリーズで2試合連続3位表彰台に立った岡田芽依(名東FSC)ら愛知県出身のホープも花束スケーターの経験者だ。2024年の世界ジュニア選手権で銅メダルを獲得した上薗恋奈(LYS)は名フェスで見たトップ選手の滑りに憧れてスケートを始め、その後に花束スケーター、愛知県の推薦枠、正式な出演者とステップアップを果たした。
今回、地元の推薦選手として出演した榎本ミク(名東FSC)は「小学4年生の時に坂本花織選手(シスメックス)と手をつないでもらったことを、今でもうれしく思っています」とコメントした。2022年四大陸選手権で7位に入った横井ゆは菜さんは、高橋大輔さんとリンクを1周したという。今でも高橋さんに会う度に「私はあなたと手をつないで1周したのよ」と伝えるほど、忘れられない思い出となっている。

花束スケーター4年ぶりに復活 コロナ禍経て
ミラノ・コルティナ冬季五輪を約1年後に控えた今年の「名フェス」。冒頭のあいさつで久野委員長はこう述べた。
「新型コロナウイルス感染拡大後、花束の投げ込みが禁止となり、花束スケーターになれる機会もなくなりました。トップスケーターの演技を間近で見て、自分もいつか、出演者として、この名古屋フィギュアスケートフェスティバルで演技することが、目標の一つになっていたはず。そんな思いから、今回から花束・プレゼントの投げ込みを復活させました」

4年ぶりの花束スケーター復活。その役目を担ったのは、愛知県大会で上位に入り、選抜された約20人の子どもたちだった。観客の視線が鍵山優真(オリエンタルバイオ・中京大)、坂本花織らトップ選手の滑りに向けられる中、未来の金メダリストを夢見る小さなスケーターは、それぞれの晴れ舞台に立った。
より多くの人に演技を見てもらいたいとの思いからチケット価格を抑えているため、派手な演出はない。それでも「ここから世界のトップスケーターへとつながっていく」と久野委員長。「金の卵」に名フェスのDNAは刻み込まれた。(共同通信・品川絵里)

伊藤みどり、安藤美姫、浅田真央、宇野昌磨―。世界チャンピオンを輩出してきた愛知・名古屋に、再び若い才能が芽吹きつつある。フィギュア王国の復権へ、選手や指導者、県スケート連盟の現在地を深掘りする。