ロサンゼルスを拠点に普段、大谷翔平ら大リーガーを追いかけている筆者にとって、フィギュアスケートの現場は発見と感動の連続だった。対戦型のチームスポーツ、野球と違ってフィギュアスケートの男女シングルは銀盤で一人きり。仲間もいなければ、対戦する相手もいない。孤独との闘いだ。グランプリ(GP)シリーズ第1戦、スケートアメリカと第2戦、スケートカナダを取材し、選手が紡ぐ言葉に胸を打たれた。(共同通信=白石明之)
10月27日のバンクーバー。第2戦で今季GP初戦を迎えた坂本花織(シスメックス)が、ショートプログラム(SP)で首位に立った。世界女王の貫禄を示す滑りに「精神面が強いんだな」との印象を受けた。だが、演技後に本人が口にした言葉は全く違った。
「本番が近づくにつれて、やっぱり緊張が高まっていた」
さらに、こう続けた。
「もう、緊張とお友達です」
報道陣の笑いを誘う話し口ではあったが、常に緊張と向き合っている重圧は、いかばかりかと衝撃を受けた。ただ強いのではない。自分の弱さを知った上で、対処するすべを体得したから強いのだろう。
「燃え尽き」で序盤戦に苦しんだ昨シーズンを踏まえ、今季は練習からアプローチを変えているという。以前は「とりあえず練習に来ました。皆勤賞を狙っています。熱でも学校に来ました―、みたいな感じで練習していた」。いつしか、頑張ることが苦痛になっていた。
今は、練習する自分を褒めるようになった。ジャンプ、スピン、ステップ…。何か一つでも課題をクリアするたびに「自分ってすごいな!」と心の中で叫ぶ。「今年は練習が楽しいし、充実している」と坂本。取材中に見せた晴れやかな笑顔が、シーズンの活躍を予感させた。
不本意な成績に終わった時の対処法も学んだ。得てして卑屈になりがちで、周囲の目も気になってしまうもの。それでも、第1戦で8位に終わった男子の壷井達也(シスメックス)は「頑張りが足らなかったとは思わない」と言い切った。
「失敗を失敗で終わらせないで、絶対にいつかできるときが来ると信じて努力し続けたい」。希望を捨てずに、前向きで居続けられる姿勢に頭が下がる思いだった。
女子で6位だった渡辺倫果(TOKIOインカラミ・法大)は、壁にぶつかった時に「ずっと自問自答」を繰り返すそうだ。「自分がどうしたいか、というスポーツ。やるのも、やらないのも、全部自己責任」。対戦相手の相性や、チームメートの成績に勝ち負けが左右される野球と異なり、個人競技は、まさに「自己責任」で完結する。限界まで自分と向き合った先に、見る者を魅了する演技が生まれるのだろう。
青々とした芝生のグラウンドで躍動する猛者たちから、銀盤で舞う繊細な芸術家に取材対象が変わった2週間は、記者として多くの気付きを与えてもらった。ふと、思い浮かんだ孫子の言葉がある。
「彼を知り己を知れば、百戦危うからず」
敵と味方をよく知って戦えば、何度戦っても敗れることはない。大谷翔平は、米大リーグに挑戦する日本選手は、団体球技というスポーツでの勝負に、どんな思いを抱いて向き合っているのか―。フィギュアスケーターから教えてもらった「心の整え方」を胸に、大リーグ取材に臨みたい。
白石 明之(しらいし・あきゆき) 2010年入社。プロ野球の日本ハムと阪神を2年ずつ担当し、15年は大阪でサッカーや相撲などを取材。16年から野球界に戻り、巨人担当を計5年間務めた。22年から米ロサンゼルスに赴任し、大リーグで大谷を追う。埼玉県朝霞市出身。