【第3回・銀盤の未来】愛媛県内に通年リンク設立へ奔走 「スケートの灯が消える」と危機感 衝撃走った27年のイヨテツ営業終了

「滑走屋」スケート教室で笑顔を見せる島田高志郎ら。高橋大輔さんは「スケートに興味を持つ方はたくさんいると実感した。2年あるので何か変わるかもしれない。営業停止にならないように普及活動をしていかなければ」と話した=2月、イヨテツスポーツセンター

 2022年11月1日。一つのプレスリリースに、愛媛県のスケート関係者の間に衝撃が走った。「~イヨテツスポーツセンター・イヨテツボウリングセンターの営業終了について~」。伊予鉄不動産が運営する同施設が2027年1月をめどに営業を終えるとの内容だった。
 少子高齢化による利用者減少、施設維持費などの高騰が理由に挙げられた。「複合的な要因で、ビジネス的な観点でもなかなか難しいよねっていう判断。とはいえ約5年、猶予を持ってくれた。ちゃんと1年間通して使えるような、スケート文化を根付かせられるような施設を何とか作っていきたい」。愛媛県スケートリンク設立の会の実行委員、小松賢司さん(41)はそんな思いを込めて奔走している。(聞き手 大島優迪)

取材に応じた続木達哉さん(左)と小松賢司さん

利用者はピーク時の4分の1 島田高志郎の出身リンク

 1966年にオープンした松山市のイヨテツスポーツセンターは市中心部から車で約10分、最寄り駅から徒歩約10分の好立地にある。夏はプール、冬はスケートリンクとして営業。リンクは61メートル×28メートルのメインと25メートル×8メートルのサブを備える。壁一面のガラス窓が特徴的で、昼間はそこから差し込む光で開放的な雰囲気が漂う。
 設立の会によると、開業当初には年間約14万人の来場者があり、ピークの1978年には約19万人が訪れた。フィギュアスケート男子で今季、グランプリ(GP)シリーズのフランス大会2位の島田高志郎(木下グループ)の出身リンクで、スピードスケート女子で2018年平昌、2022年北京両冬季五輪代表の郷亜里砂さんがイヨテツスピードクラブを所属先としたこともある。
 愛媛県内にはかつて新居浜や八幡浜、今治にもリンクがあったが、現在は四国には他に香川県三木町の「トレスタ白山」しかないという。イヨテツスポーツセンターは愛媛県内唯一のリンクであるとともに、四国のスケーターの受け皿となってきた。
 しかし、利用者数は減少傾向にあり、2023年はピーク時の4分の1の約5万5千人にとどまった。水道光熱費の高騰や冷凍機の老朽化などの課題を抱え、厳しい経営を強いられている。伊予鉄不動産は同センター営業終了後の約5千坪の跡地に「賑わいや魅力ある施設を誘致するよう検討し、地域経済の活性化に努めてまいります」としている。

2022年北京冬季五輪女子500メートルに出場したイヨテツスピードクラブの郷亜里砂

公共性やビジネスプランに高いハードル 設立の会は2023年春から署名活動

 愛媛県スケートリンク設立の会はイヨテツスポーツセンターの営業終了の発表後、県のスケート連盟、アイスホッケー連盟が中心となって発足した。伊予鉄不動産が事業を継続しないことを明確にしていたため「存続の会」とは名付けなかった。通年リンクの設立を目指し、2023年春から署名活動を始めた。
 署名用紙を作成し、地元店舗へのチラシの配布や地域イベントでの呼びかけを通して3万5千を超える署名が集まった。ホームページにはリンク設立の「推進サポーター」として約170の会社や飲食店などが名を連ねる。
 島田高志郎はインスタグラムに幼少期の写真とともにメッセージを寄せ、支援を呼びかけた。
 「自分の帰る所でもあり、大切な思い出が詰まったスケートリンクが無くなってしまうことはとても悲しいです。四国には元々スケートリンクが少なく、スケートに出会い、触れ合える機会が限られています。愛媛の松山市にスケートリンクがあったから、私はスケートと出会うことが出来、人生そのものが大きく変わり、形成されていきました。出会いをくれたイヨテツスポーツセンターには本当に感謝しかありません。
 スケートが大好きな私としては、子供達やその家族がスケートで遊ぶ、出会うきっかけの場を失ってしまうということが残念でなりません。
 是非、愛媛のスケート文化存続の為にご賛同をお願い申し上げます」(原文まま)
 また、アイスホッケーでは日本連盟が全国大会をイヨテツスポーツセンターに優先的に誘致するなど県内で競技アピールに協力する動きもある。

2015年全日本選手権で11位になった当時14歳の島田高志郎=札幌市
GPシリーズのフランス大会男子ショートプログラムで演技する島田高志郎=アンジェ(共同)

 支援の輪は広がっているが、悩みや困難は尽きない。設立の会の実行委員で、幼稚園の時にイヨテツスポーツセンターでアイスホッケーを始めて以来、プレーしてきた続木達哉さん(33)は言う。
 「行政が公共サービスとしてスケートリンクを運営していた場合は行政にそのまま『継続してください』とお願いすることが多いけど、今回は民間企業が運営していて、ビジネス的な採算が合わなくなったというところがフォーカスされて閉鎖する。民間で黒字化ができないことや、行政サービスとして実施していないことを新たに行政が受け持つことへの腰の重さは『きついな』というところがある。全国でも民間(運営)のリンクがどんどんつぶれているのは、そういうことだと思う」
 小松さんも同調する。「署名活動をしていて『リンクがあった方がいいですか?』と聞くと100%、『あった方がいい』となると思うけど『ないと駄目か』という説明は結構難しい。それこそお金を出してくる企業を探すとなると難しい」
 設立の会によると、イヨテツスポーツセンターでは一般利用が売り上げ全体の約80%、貸し切り利用が約10%、競技利用が約10%を占めるという。
 「例えば八戸や東京だと(スケート関連の)クラブチームだけで両手で足りないくらいある。そうすると、そこへの(リンク)貸し出しだけで結構の収益になるけど(愛媛は)まだまだ根付いてないところで、人もまだまだ入っていないので、この状況で『ちゃんと黒字化できます、お金を出してください』と自信を持って言える状況ではない。どうしても地域貢献とか社会貢献みたいな文脈になってしまう。そこでお金を出してくれる企業がない限りはなかなか難しい」
 「公共性を押し出して自治体にサポートしてもらうのか、何とか黒字化するようなビジネスプランを考えて攻めていくのか。どっちにしても結構ハードルが高い条件があるんだろうなと思う」
 設立の会では署名を集めながら愛媛県や松山市とコミュニケーションを取りつつ、各地を訪れてスケートリンクの事業スキームなどの事例分析を進めている。
 続木さんは「行政も他地域がどのようなことをしているのか、すごく気にしている。いろいろなリンクに足を運び、どういった形でできたとか、建築費がどれぐらいだったとか、行政と民間がどういうスキームを使ったかとか、補助金がどうだったとか、情報をかき集めている」と言う。

イヨテツスポーツセンターのメインリンク

子どもらの県外流出なども危惧 全国で新設の動きもあることに希望も

 少年と成年を合わせた県内のスケートの人口はフィギュアが約30人、スピードが10人程度で、アイスホッケーは約100人という。イヨテツスポーツセンターを拠点とするアイスホッケーチーム、松山オレンジホーネッツでともにプレーする小松さんと続木さんは同センターの営業終了を危惧する。
 小松さんは2021年に家族と愛媛に移住してきて以来、リンクを使ってきた。「一般のお客さんの層と、スポーツと、では別の話だと思う。前者については自分も娘がいて、1シーズンで5、6回くらい来る。自分だけではなくて、そういう家族の方もいると思うので、そういうことができなくなるのは単純に寂しい」
 「スポーツに関してはいったん(リンクが)途絶えてしまうと、例えば5年後にまたリンクができたとなった時に、団体競技だと選手を集めて成長して試合に出るまでに時間がかかる。何十年も継続してきて、人数が少ないながらもやってきたというのはすごく価値がある。そこは続けていきたいし、頑張ってる小学生がいっぱいいるので、彼ら、彼女らの目標や夢を奪うのは寂しいし悔しい」
 子どもらが県外に流出する恐れもある。続木さんの周囲にはリンクの営業終了を理由に岡山県の中学校への進学を決めたフィギュアの選手や愛媛県内で就職することをやめた大学生のアイスホッケー選手もいるという。

イヨテツスポーツセンター

 かつて愛媛県にはスノーボード・ハーフパイプ男子の2010年バンクーバー、14年ソチ両冬季五輪代表で、2009年の世界選手権ではスノーボードの全種目を通じて日本勢初の金メダルを獲得した青野令さんを輩出した屋内スノーボード施設「アクロス重信」があったが、2012年に経営難のために閉鎖された。続木さんは施設閉鎖に伴い「競技(スノーボード)の灯が完全に消えてしまった。危機感しかない」と言う。
 「アクロス重信の現実を見ていると、アイスホッケーやフィギュアが同じことになってしまう。まず自分に『(地元に)スケートリンクがなくても(競技を)やるのか』と問うた時に、毎週、毎月、岡山に行ってやるというのは現実的ではないというか、気持ちが持ちにくい。ましてや子どもたちはもっと難しいと思うので、そういう灯が消えちゃう」
 「案外、愛媛県や松山市の人はスケートリンクが当たり前のようにあると思っていて『スケートはいつでもできるじゃん』ってところがある。だけどリンクがなくなっちゃうとウインタースポーツに触れる機会がスキー場しかなくなる。逆に言えば当たり前にスケートができていた環境は恵まれていた。年間5万人が機会を失い、10年で50万人が機会を失うと思うと悲しい」
 小松さんはリンクが全国的に減少傾向にある中、新設される動きもあることに希望を見いだし、活動の励みにする。
 「全国的に人口も減っているし、燃料の高騰や利用者の減少で同じような状況だと思う。一方でアイスホッケーだけでいうと名古屋のように新しくプロチームを立ち上げて頑張っている地域もある。だから諦めずに頑張った方がいい」
 設立の会では近く署名を行政側に提出する方針。引き続き新設を目指すリンクのスポンサーになってくれそうな民間企業を探し、協力を呼びかけるつもりだ。

アイスショー「滑走屋」広島公演に向けた合宿。かつてのホームリンク営業終了予定に、島田高志郎は「すごく寂しい。いろいろな活動を通してスケートの良さを伝えていけば、自然とスケートに触れ合う機会も増えていく」と話した=3月、イヨテツスポーツセンター
大島 優迪

この記事を書いた人

大島 優迪 (おおしま・まさみち)

2014年入社。大阪でプロ野球阪神、サッカーを担当。19年末に東京運動部に異動し、東京五輪ではスケボー、BMX、3x3などを取材。現在はサッカー、卓球、フィギュアスケートを担当。神奈川県出身。