【第1回・無料公開】電力高騰、利用者減に負けず「氷で喜びを」 パティネレジャーの小林一志社長が語るリンク運営の実情

 「ひょうご西宮アイスアリーナ」のオープン式典で、地元の小学生と一緒に滑るフィギュアスケートの高橋大輔(中央)=2013年8月、兵庫県西宮市

※「銀盤の未来 全国のリンクから」は公開14日後より無料でお読みいただけるコンテンツです。


 スポーツ庁の「体育・スポーツ施設現況調査」によると、屋内外のアイススケート場の数はスケートが冬のレジャーとして盛んだった昭和末期の1985年度に940あったが、2002年度に245、2021年度には208と減ってきた。
 1976年に設立され、スケートリンクの運営管理に従事してきた「パティネレジャー」(東京都豊島区)は時代の移り変わりを見てきた会社の一つ。設計や運営、関連商品の販売などを通じ、現在では全国の約9割のリンクに関わるという。パティネレジャーの小林一志代表取締役社長にリンク運営の実情について聞いた。(聞き手 大島優迪)

スケートリンク運営の実情を語るパティネレジャーの小林一志社長

昭和時代のスケートブーム 人気再燃の火付け役は浅田真央さん

 スケートは娯楽の種類がまだ少なかった昭和時代にブームとなり、それに伴って屋内外のリンクも増えた。体育・スポーツ施設現況調査によると、1969年度の施設数は392で、約15年で2倍以上に増えた。
 「他に遊びがないというのも確かにあったけど、聞いた話では例えば晴海で冬に仮設のリンクをつくれば一日に何千人もの利用があるというような時期があった。冬はリンク、夏はプールというような施設が増えていった」
 しかし、その後のバブル崩壊による景気悪化でリンクの閉鎖が相次いだ。スキーやスノーボードなど冬のレジャーの多様化もあり、ブームは定着しなかった。
 「これは感覚でしかないけど、2000年前後、2006年のトリノ五輪の前までは競技として、そこまでフィギュアスケートが注目されていなかった。そういった時期もあって、なかなかリンクを新しくつくろうとか、アイスショーを見に行こうとか、そういったのも苦戦していた時代だった」

若者たちで大にぎわいの軽井沢スケート場=1959(昭和34)年2月1日、長野県軽井沢町

 状況を一変させたのは女子の浅田真央さんの台頭だ。2005年のグランプリ(GP)ファイナルを15歳で制したことに加え、同じシーズンに行われたトリノ五輪に年齢制限で出場できないという状況は、世間の大きな関心を集めた。さらにトリノ五輪で荒川静香さんが金メダルを獲得したことで人気に火が付いた。
 2005年10月にオープンし、パティネレジャーが通年リンクとして初めて本格的に施設管理した千葉市の「アクアリンクちば」の活況が当時の様子を物語る。
 「アクアリンクちばがオープンして、翌年の正月はもうリンクの中が見えないぐらい人が入った。千葉だけではなくて、全国的に人が入っていたし、2006年がある意味、スケートが注目された、改めてのスタートだった」

グランプリ・ファイナル女子で優勝した浅田真央=2005年12月

コストの約4分の1は電気代 新冷却システムを開発

 当時のスケート人気の再燃に合わせ、通年リンクの新設に動き出した。
 「フィギュアスケートもアイスホッケーも一年中練習できる環境を求めていた。冬のスポーツではあるけど、選手やインストラクターが通年リンクを求めて、家も引っ越してしまうような時代が2000年代に始まった。通年リンクを建てる場所も、どこでもいいわけではなく、ある程度、人口があって以前にスケートリンクがある場所であれば潜在的に親の世代がスケートをしている。そういったところを狙って『シーズンリンクだったら通年に切り替えませんか?』ということをやってきている」
 アクアリンクちばは隣接する清掃工場の余熱利用施設として工場から電気と蒸気の供給を受けているのが特長の一つだ。
 「スケートリンクの運営は非常に電気代がかかる。できるだけ管理コストがかからないシステムを考えないといけないと古くから会社として認識してきた。燃料がまだ安かった頃は電気を使わずにエンジンを回して、冷凍機を駆動させていた。その方が圧倒的にコストを安くできた時代もあった。そこを考えていくのは会社の使命だ」
 小林社長によると、施設によって差異はあるが、電気代はコスト全体の約4分の1を占める。そこでパティネレジャーは2011年に前川製作所と連携し、約10年かけて液化二酸化炭素の蒸発潜熱を利用した新しい冷却システムを開発。設備の初期費用は従来のシステムよりも高くなるが、電気代を少なくとも30%は削減できるという。
 新システムは2013年8月にオープンした「ひょうご西宮アイスアリーナ」(兵庫県西宮市)を皮切りに、2014年オープンの新潟市の「MGC三菱ガス化学アイスアリーナ」などパティネレジャーが手がける通年リンクに採用されている。

 「ひょうご西宮アイスアリーナ」のオープン式典で、地元の小学生と一緒に滑るフィギュアスケートの高橋大輔(中央)=2013年8月、兵庫県西宮市

浅田真央さん、羽生結弦さんら競技会から引退 人気に再び陰り

 ただ、近年、浅田さんや羽生結弦さんといった人気選手の競技会からの引退などでスケート人気に再び陰りが見えている。
 「オリンピックごとの4年周期で(利用者は)なだらかに落ち込んできている。2006年の半分とまではいかないけど、6、7割くらいが平均になってしまっているのが現状」
 「少子化の影響もある。さまざまなスポーツが子どもたちの獲得に意気込んでいる。それに出遅れているというか、なかなか趣味や競技としてフィギュアスケート、あるいはアイスホッケーもスピードスケートも魅力に欠けてしまっているのかなというところがある」
 「スケートやアイスホッケーはなかなか関わることも見ることもあまりないのもある。フィギュアスケートはやろうと思えば環境はあるけど、選手のレベルも上がっていて逆にそれが壁になっちゃっているのかな。見るスポーツになって、やってみたい競技からちょっと離れてしまっているところはある」

平昌冬季五輪の男子フリーで演技する羽生結弦=2018年2月

新型コロナ禍が直撃 電気代の高騰も

 特に地方でのスケートリンク運営を取り巻く環境は厳しい。「MGC三菱ガス化学アイスアリーナ」(新潟市)ではオープン直後の2014年度に約15万人が利用したが、利用者が年々減り、新型コロナウイルス禍が直撃した2020年度に約7万人まで落ち込んだ。2023年度には約9万5千人まで回復したが、コロナ禍前の10万人台に届いていない。
 電気代の高騰や設備維持の費用がかさむ中、2022年度、2023年度と赤字決算だ。地道なコストカット、収入源の確保が課題となっている。
 「やっぱり人口が影響するので地方の方が収入を上げるのが難しいのは確か。とにかく今、現場でも頑張って、小さなイベントをいくつもやって何とか利用者を増やそうとしている。そうやってコツコツとやっていくしかない。新潟市にも協力していただいて、授業で使っていただいて地道に人を増やす努力をする、そこがまず一つ。それとは別に電気代をどれだけ減らせるか考えないといけない」
 「今は氷に断熱シートを敷いて、夜間の電力消費を抑えるといったことをやろうとしている。実際に断熱材を準備して施設に置いてあるけど、広げるのも人手がかかる。だから1メートル程度の市販のロールの断熱材を何十個と準備して、それをどうつなげて広げて、どう回収すれば効率よく少人数でできるかと考えている」

2014年の全日本ジュニア選手権の男子で優勝した宇野昌磨(中央)と2位の山本草太(左)、3位の中村優=新潟アサヒアレックスアイスアリーナ(現MGC三菱ガス化学アイスアリーナ、新潟市)

メインとサブの2面が特長 完成形に近いのは三井不動産アイスパーク船橋

 全国的にリンクが減る中、パティネレジャーは施主として2014年に埼玉アイスアリーナ(埼玉県上尾市)、2019年に木下アカデミー京都アイスアリーナ(京都府宇治市)、2020年に三井不動産アイスパーク船橋(千葉県船橋市)も開業させている。コンパクトな施設ながらメインとサブの2面のリンクを備える特長がある。
 「自治体は『やっぱり競技大会ができないと』という考えはあると思う。大きな施設をつくることは駄目だとは言えないけど、それを通年で管理するのは当然、大きなコストがかかる。そのコストを把握した上で、大きなものをつくるのはいい」
 「ただ、弊社のように民間として管理して、できればスケートリンクで収入をプラスにしたいという考えであれば『競技大会を』という考えではなく『市民の利用と練習ができるところ』とある程度、目的に応じた無駄のない施設設計が必要になる」
 「どうしてもリンク一つで一般営業もしてしまうと貸し切り利用が夜からになってしまう。そうすると練習するのは深夜帯だったり早朝だったり。それでも日本の選手がどんどん伸びているけど、あまり健全とは言えない環境になってしまう。新潟(のMGC三菱ガス化学アイスアリーナ)からはリンクを必ず2面つくっている。完成形に近いのは船橋のリンク。サブも少し大きめのリンクにして、どちらも貸し切りができるような形にした。それぞれが分離して運営できる」

完成した通年型リンクの木下アカデミー京都アイスアリーナ=2019年12月、京都府宇治市

リンク建設、運営は自治体との連携が鍵

 リンクの建設も運営も自治体との連携がポイントの一つだ。
 「リンクはかなりの敷地が必要となるので自社で土地を買って、そこに建てるということはまず難しい。自治体の土地を借りて出資するにしても、借りて建てさせてもらう形になる。自治体にそこで協力していただいて、その分、費用を下げることはこちらとして考えるべきところ。利用者を増やすというのは自治体の協力なしでは難しい」
 「圧倒的に収入を上げるのは難しいところではあるけど、コツコツやるしかない。自治体の協力で、何とか授業で採用していただけないかというところで、年間規模で利用して定着していただく。そういうことで小さいうちにスケートをまず体験してもらう。それで次は家族を連れて遊びに来てもらう。そこがやっぱり基本かな」
 『氷で皆さまに喜びを与える』という会社の理念に沿って未来のリンクのあり方をこれからも模索し続ける。
 「スケートリンクっていうのは、なかなかもうかるものじゃない。本当に関東の人口の多いところでも、やっと成り立つかどうかっていうようなところでもある。相当しっかりとした運営の計画を持って建てないといけない」
 「弊社みたいなスケートリンク専門でやっている企業は国内で1、2社程度なので、スケートがなくならない以上、われわれは頑張って仕事を続けなきゃいけない。今後、未来もスケートが続く以上、二酸化炭素(C02)システムを開発したけど、これにまさる、低いランニングコストのシステムを必須で考えないといけない。維持コストを下げることで、スケートリンクを何とか維持できるシステムを開発して、国内からスケートリンクを減らさないようにしていく」
 「リンクがなければ、スケートをする環境もなくなってしまう。なくなるのはやむを得ないかもしれないけど、再開がしやすいようなリンクのシステムを考えていくことがわれわれのやるべきところなのかな」

大島 優迪

この記事を書いた人

大島 優迪 (おおしま・まさみち)

2014年入社。大阪でプロ野球阪神、サッカーを担当。19年末に東京運動部に異動し、東京五輪ではスケボー、BMX、3x3などを取材。現在はサッカー、卓球、フィギュアスケートを担当。神奈川県出身。